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若田部 純の夏休み旅行記 | |||||||||||
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若田部 純(ナイロビ日本人学校中学2年生) 現場と湖探検旅行記 (2002年7月24−28日夏休み) 俺、若田部純、面倒くさいこと大嫌いだから紙に書くのはいやだ。 でも、パソコンを打つのはまあまあ。緑のながーい作文に対抗して 俺は短く、ターゲットだけを書くことにした。 ふたり旅 日本人学校が長期休暇に入るとすぐ、緑と俺でキスムの現場に行 くことになった。母さんは、この計画の最初から「ナイロビの空港に も行かないから、チェッインは自分たちでやるように」と言っていた 。冗談だと思っていたら、出発の前日、迫田さんのメモをみながら チェッインの説明を始めた。やっぱ、まじだったのか。 出発の日、10時のフライトだったが、家を7時半に出た。母さんが 会社でおりて、いよいよ緑と二人だけになった。空港で、会社のド ライバーさんにチックインが終るまで待ってもらった。それは、俺は スケボーを持っていたので、それを拒否されたら飛行機にも乗れ ないと思ったからだ。チェックインの時、予想していた通り、緑は口 を貝のようにむすんで一言もしゃべらない。 ボーディングカードをもらうと、緑が、「身分証明書もっているのに どうして純君は『ない』っていったの。」俺は、パスポートのコピーを 持っているのをすっかり忘れていた。でもいーじゃないか、とりあえ ずボーディングカードをもらえたのだから。緑は、絶対自分では何 にもやらないのにこうゆうことだけは覚えているいい性格をしている 。 待合室は、人で一杯だった。みんなキスムだったら全員乗れない なと思った。係官が「モンバサ」と叫ぶと、待合室には俺たち二人 だけが取り残された。俺たちは、早くチックインしすぎたのだ。 キスム空港につけば、現場のドライバーさんが待っているはずだっ たが、荷物をとって赤いミニバスを探しても赤いパジェロしかとまっ ていない。母さんに言われたとおり、電話ボックスの前で待ったが 、俺は、ナイロビと現場に電話をかけることにした。 母さんは、俺がコインを6個しか持っていないの知っていたので「 電話ボックスの前で待ちなさい。ドライバーさんが探してくれる」と だけ言って一方的に電話をきってしまった。次に、現場のサラに電 話をした。サラは、親切に車のナンバーまで教えてくれた。 緑がわけのわからない事を言い出した。「動いていないと蚊に刺さ れるよね」「知るか、そんなこと」「マラリアの蚊が絶対にいるよね」「 マラリアになった時はなった時じゃないか」「でも、緑マラリアになり たくない」うるせーなと思いながら、車を待っていると、今度はタクシ ードライバーが「タクシー、タクシー」と声をかけてくる。ぶん殴るぞ ーと思ったけど、「ノー」とだけ答えた。赤いミニバスが来たと思っ たら、やたらぼろでナンバーも違う。まだかよーと思って待っている と、紙切れをもってドライバーさんが近づいてきた。どれ位待ったか わからないけど、いやー長く感じました。 車に乗って、現場に直行かと思ったら、市内見学になってしまった 。あっちのお店、こっちのお店、買い物ツアーが終って、2時ごろ 現場についた。昼飯がやたらうまかった。考えてみれば、飛行機に 酔うのがいやで朝から何もたべていなかった。なにはともわれ、俺 たち二人は、迫田さんの宿舎にたどりつくことができた。 俺のスケボー 緑は、ずっとテレビをみている。俺はあきると外でスケボーをした。 坂道ではバランスをくずれてよくスケボーから落ちて、スケボーだ けが平らな所までいってしまう。でも、これを持ってきてよかった。ナ イロビではほとんど外で使えないから、広い所で遊ぶにはちょうと いい。俺は、二日目の朝、ひっくり返って、ひじをけがした。みっと もねーと思ったけど、ドライバーさんと現場の診療所にいって治療 してもらった。母さんに「あの診療所を使っのは、日本人では純が 第1号かもね」と言われた。俺は、貴重な経験をしたことになるのだ ろうか。 工事現場 本山さんの弁当をもって、山にいった。本山さんの案内で俺と緑は トンネルとサージタンクの方へいった。作業をしているところを見る のは始めてだ。水溜りの中を歩いたり、サージタンクを上り詰めて 顔を出したときは、なんだかうきうきした気分になった。 インテイクからトンネルにつながる所をジャングルジムのように渡っ ていくときもなんだかうきうきして俺の場所って感じたのはなんなの だろうか。 ホッとする時 俺たちがキスムに着いた日からTBSの取材と一緒だった。夜、迫 田さんへの取材が宿舎であった。いろいろとセッティングがあるらし く、時間がかかっていた。取材中、俺は外に出た。オリオン座がと てもきれいにみえた。オリオンはどこでもはっきりわかるもんだなー と思いながら、山の方をみると、サージタンクを照らすサーチライト がいやに明るく見えた。工事が止まるとこのサーチライトも消されち ゃうのかなと思うと何だかさびしかった。一人で外に長くいても何だ かさびしくなるだけなので、取材中の部屋にそっと戻ろうと、ドアを ゆっくり開けたつもりなのに、「ガガガーッ」とドアがでかい音をたて るのでばつが悪かった。 取材は、光の加減や取材アングルをかえてくり返し、くり返し行わ れた。取材質問の中に「ホッとする時は…」と言うのがあった。迫田 さんは一瞬考えて「バンコクから日本の飛行機に乗ったとき」「現 場見学に来た子供たちからの作文を読むとき」と答えていた。俺だ ったら、「マンガを読んでいるとき」「母さんに文句をいわれないで ゲームをしているとき」だな。一杯あるなホッとする時って。持久走 でゴールした時も「終ったー」とホッとしたし、迫田さんだったらやっ ぱ工事が終った時だろうな。 俺たちがキスムにいるときこの『ホッとする時間』が話題になった。 簡単に答えられそうで、なかなか答えが出せない俺の国語の解答 用紙のようだ。 魚つり 小さな入り江があるクサから小舟にのった。小舟と言うよりは少々 舟だ。誰かが体重を移動させると簡単に舟は傾いて転覆しそうで、 息をとめていなくてはならない感じだ。ホテイアオイが入り江一杯に はいりこんでいるため、わずかに水が流れているとろこをエッチラ、 エッチラと進んだ。このままこの小さすぎる舟でビクトリア湖に出て いくのかと思うと不安になった。 しかし、入り江をでると大きな舟が棄ててあって(?)それにのりか えた。ホッとしたよ。俺たちが乗っていた舟はどうも一人用だったよう だ。そこに俺たちは6人ものっていたのだ。 いよいよ魚つり。ホテイアオイのなかで舟は止められた。なんだか 魚がつれなさそうな場所だ。とりあえず魚つりをしていると、今にも 沈みそうな小舟が近づいてくる。それもそのはず、迫田さんの巨漢 のドライバーさんが緊張した顔で真中にチャカリすわっている。何 事かと思うと、ムゼーが「ミスター迫田、魚つりは明日と約束したで はないか。明日なら準備がかんぺきだ」と訴えている。ハイハイ、こ れぞミスアンダースタンディング。本日の魚つりは中断となった。舟 を小さな漁村で乗り捨てた。ここは、舟の乗り捨てがOKで、住民タ クシーのようだ。 翌朝、俺たちのビクトリア湖での魚つりはニャンド川の方にむかっ た。また、少々舟に乗って入り江の出口のところまでいった。昨日 より気持ちの余裕がある。俺は、鳥には興味がないのであきてきた 。そこで、舟をこぐことにした。長い棒はけっこう重い。力を入れて いるのに進みはしない。でも、楽しんだ。 ニャンド川に入っても、川のような感じはない。肺魚取りの漁師にで あった。パビルスの間をやりでつついている。疲れるけど誰でもで きそうだ。すごく大きな肺魚がとれていた。体がぬるぬるで怪獣のよ うだ。 何だかわからないけど俺のつまらない気持ちがのぼりつめていた らカバとの遭遇となった。10頭近くのカバが泳いでいる。一緒に乗 っていった人が、「カバも人間が怖いから自分から近づかない」と 言っていた。オイオイけど結構近いぞ。 カバの次は、大きな鷺(サギ)が銅像のように立っていた。今日は、 大型のものによく出会う。つり場には、一時間半くらいかかってよう やく着いた。なんだか、ここも釣れなさそうだ。小型の魚が3匹。緑 も釣った。緑は、俺と違ってこうゆう時しゃくだけど必ず喜びがある 。つまんねー。 フライトの関係で俺たちの魚つりの時間はあまりなかった。カバの 群れの所をまた通らなくてはならない。行きと違って、今度はやたら みんな緊張している。カバが顔をだしたり、水の中に沈んだりして いる。シーンとなった。誰も話さない。みんな黙っている。舟もこが ず、水の流れにまかせてその場を通り過ぎた。俺は、舟から下をず っと見ていた。カバが舟の下を潜り抜けた。 カバから離れた距離に来た時、またしゃべり始めた。母さんは、「 余りの静けさに何度も笑いたくなった」と言った。地元の人がじっと 黙っていたこともなんだか不気味だった。時間をだいぶロスした。 地元の若者が3人乗っていたが、疲れたらしく余り舟をこがない。 俺と緑はオールを使って手伝った。迫田さんは、「こげよ〜マイケ ル」と歌っている。現場がはっきり見えてきた時は、これでスリル満 点だった舟遊びも終ってしまった。 ソンドゥ川のカバ 今まで見ることが出来なかったソンドゥ川のカバが畑を荒らすと言 うことで、そのカバをサンゴロータという日本人の名前のような場所 に行った。車をおりるとカバ探検隊は、たくさんの子供たちも合流し て大遠征隊となった。 川に沿ってどんどん下流に歩いていく。川岸では木と木の間に作 られた抜け道を体をかがめながら進んだ。カバ道のような感じだ。 川岸に出てもカバを余り近くでは見られない。カバが遠いのに緑 の心配性がまた「カバが上がってくるよね」と聞いてきた。「こんな がけのところ無理だよ。それにカバはズッと遠くじゃないか」カバを おってどんどんやぶの中を歩いた。 俺たちは、歩きすぎて引き返すには遠すぎるところまできてしまっ た。川を渡るにも広すぎる。運良く小舟が来た。それで対岸に渡る ことになった。午前中の舟と同じように満杯状態でわたった。母さ んが「迫田さんのドライバーと一緒に乗るのは不安だ」と言った。 俺もあの午前中の舟の沈みを思い出すと不安だった。でも、迫田 さんと緑は先に行ってしまったので、ドライバーさんは俺たちと一 緒だったが無事渡れた。俺たちが車を止めておいた所についた時 はもう日が傾きはじめていた。 鳥オタク 俺は、鳥に興味がないせいか、なかなか名前も覚えられない。でも 、俺だって、ヤマショウビンは、わかるようになった。カワセミだかヤ マセミかの区別はわからない。どっちでもいいじゃないかと俺は思 うけど、迫田さんや緑のような鳥オタクにはそれは許せないことらし い。 夜、迫田さんが戻ると緑は待ってましたとばかりに鳥の話しを始め る。「僕ちゃん、今日も一人ぼっち〜」。鳥の話しについていけない 俺は、岡村さんが置いていってくれたMDを聞きながらついついう とうとしてしまった。 |
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