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若田部 緑 ちゃんのルオーランド旅行記 | |||||||||||
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キスム旅行記(正月休み) 2001年12月30日 飛行機で飛ぶ 今年の暮れは、ソンドゥ・ミリウで働いている人がみんな日本に帰ら ずキスムにいるという事でお正月はキスムで迎える事にしました。 工事現場の作業も休みなのでオディノファールズ(滝)にハイキン グに行く以外は、宿舎の周辺にずっといる予定です。 絶対プールにはいる、鳥の名前を覚える。これだけの4日間です。 8時半、フェアビューホテルで迫田さんと岡村さんと合流しました。 迫田さんはマダガスカル、岡村さんはキリマンジャロから帰ったば かりで眠そうでした。 飛行場でチックインが終わると時間があったので中でお茶やジュ ースを飲みました。飲み終わって、飛行機に乗る所で待っていると 、純君が「緑、ぼくのボーディングカード見た。」と、聞きました。純 君のボーディングカードがなくなってしまったので、二人でお茶を 飲んだところとか、売店のおばさんに聞いたりしました。どこにもな かったので、お母さんの所へもどって、「なかったらどうなる。」って 、聞いたら、「飛行機に乗れないだけだよ。もう一度探したら。もし かしたらだれか拾ってくれてるかもしれないし。」と、言うだけでいっ しょに探してくれません。 二人でまた探し始めると、迫田さんと岡村さんが笑っていました。 純君が迫田さんの所に行って何か話していました。そして、迫田さ んがポケットから何か出しました。純君は、「よかった。」と、言いな がらボーディングパスを持って戻って来ました。 私たちは、飛行機に乗って一番後ろの席にすわりました。お母さん がずっとまどの外を見ているので、何を見ているのか聞いたら、「荷 物のつみ残しがあるから、私たちの分がこの飛行機に乗せてもらえ るか見ている。」と、言いました。飛行機が動き出したら、お母さん の前にすわっていた外人さんが、スチュワーデスさんに怒り出しま した。その人の荷物が飛行機に乗せられなかったそうです。 小さい飛行機なので下がよく見えました。ナイロビを出ると緑色の 畑が見えます。そして、ごつごつした茶色の山が続き、ナイバシャ 湖、ケリチョー、ビクトリア湖が見えました。純君は最初元気だった けど、と中から動くと気持ち悪くてずっとがまんしていました。 キスム博物館 最初に行った所は、ケニアで見られる動物、虫などの標本とキスム の人が昔使っていたさまざまな道具がおいてありました。昔の生活 は、キスムも日本もあまり違っていませんでした。虫を見ていると、 純君に目かくしをされて何かの前に立たされました。そして、純君 が手をはなすと目の前にライオンがヌーに飛びついている模型が ありました。私は心ぞうが止まりそうになりました。純君が、「さわって みようか。」と、言ったけど、私は、さわりませんでした。見ていると いまにも動き出しそうでこわかったからです。 外に出てワニを見ました。迫田さんが「もけいだから手を中に入れ ても平気だよ。」と、言いました。私は、きっぱりと、「やだ!!。」と 、言いました。それは、ワニは、全く動いていなくて石で作ってある みたいだったけど、人の声に目だけギョロっと私をにらんで動かし たからです。 カメレオンとまちがえてしまった"つのを持ったヘビ"、飲み水の中 にはいっていてまるでおふろの中にいるようなヘビ、とても大きくて まきつかれたら、骨がボキボキ折れて死んでしまうのではと思える ヘビもいました。 大きなゾウガメも全く動きませんでした。私は、これに乗ったらりゅう ぐう場に行けるかななんて想像していたら、純君が小石をゾウガメ に当てると、「フン!。」とゾウガメが鳴いたので、私たちは驚いて 逃げてしまいました。 逆立ちしているナマズ、笑っているナマズ、見ていて楽しくなってし まうナマズもたくさんいました。 電気がない! 宿舎について、まず私と純君は扇風機とエアコンがしっかり動くか 調べました。なぜならば、前の時、エアコンが動かず夜何度も起き てしまったからです。今度は両方共動きます。私と純君は、みんな がご飯を一緒に食べるメゾネットの方に行くと、迫田さんと岡村さん が一生けんめいそうじをしていました。家の中に入ると臭くてたまり ません。どうしてか1週間電気のスイッチが外から切られていたの で、冷蔵庫の中の物がみんなくさってしまいました。 「年末の大そうじだ。」といいながら、全部ゴミ箱にすてました。でも 、まだくさくてたまりません。とってもここでは、食事ができないので 、迫田さんの家で明日からはご飯を食べることにしました。 夕方、小さい鳥がカイト(ハヤブサ)をめがけてこうげきをしている 所を見ました。 12月31日 誰も起きない朝 朝7時にあわてて外に出て行きました。セキレイがにぎやかに鳴い ていました。みんなの約束で、7時から鳥を見ることになっていたの です。外に行っても誰もいません。純君は一人でぷらぷらどこかに 行ってしまうし、お母さんは家の中で何かやっているので、私は、 迫田さんの家の前に行ったり、岡村さんの家の方に行ったり、みん なの集まるメゾネットをのぞいてはまだ臭いと思ったりしながら、早く だれか起きてくれないかーと思っていると、岡村さんが起きてきた ので、いっしょに鳥を見に行きました。あまりいませんでした。 みんなが起きるのがおそいからだと思いました。サッカー場の方ま で歩いて行きました。純君とお母さんは別な方から歩いてきました 。太陽がまぶしくなってきたので、朝ご飯にするために宿舎に戻り ました。迫田さんの家のベランダに食べるものを運んで迫田さんが 起きるのを待っていました。宿舎の物は、みんなくさってしまったけ ど、昨日、キスムのナクマットでたくさんパンとソーセージを買って きたのでよかったです。 もちつくり 昨日から、水につけておいたもち米の水をきって、ミキサーと電子 レンジでもちつくりをしました。お母さんが分量を間違えて、ミキサ ーにかけたら水っぽくて、「おかしい。これじゃもち米とうふになる。 」と言いながら、もち米をたしてもう一度ミキサーにかけました。それ を、電子レンジにいれて、3分くらいチンしたら、もちができました。 テーブルの上でできたもちを丸めるのがたいへんでした。熱いし、 くっつくし、いろんな大きさの丸もちができました。けっこう簡単にで きました。お正月用のおもちもでき、後は、本山さんの奥さんが日 本から持ってくるおそばをまつだけです。おもちを食べてみたかっ たけれど、がまんして純君とプールにいきました。 クサへ行く・カバを見に行く 午後、宿舎の近くのクサという所に行きました。歩いた方が速いよう な道をどんどんビクトリア湖の方に行くと、魚のにおいがしてきまし た。手こぎボートを大きくしたような船で何人かの人が魚とりにいく ところでした。その辺の子ども達がいっぱい集まってきました。なん にもない所だしとても暑かったので、はやくカバを見に行きたかっ たけど、大人たちは、そこの地区のリーダーと何か話していました。 小さなトタンでできた建物の方に行きました。建物の後ろに井戸が ありました。エクアドルで使っている水くみを作ったそうです。手押 しポンプでなく、ハンドルをくるくる回して、その力で水を出していま す。私たちが行った時は、ちょうど水くみの時間だったらしく、たくさ んの人がバケツを持って来ていました。あまり深くないので水はちょ っとショパイそうです。 でも、きれいな水がある事だけでみんなしあわせそうでした。トタン で出来た小家の中は水道のパイプが何本もありました。ソーラーで 電気をおこして、このパイプに水を流して小屋の中を冷たくさせて 、魚を保存させるそうです。 ソンドゥ川がビクトリア湖に入るちょっと手前にカバが住んでいます 。迫田さんや岡村さんは、どこにカバが住んでいるか知っているの で、どんどん川の方に進んで行きました。明日は、お正月ということ で、村の市場は、ガンガンラジオをならし、大きなマイクの声が客 の呼び込みをやっていて、たくさんの人が買い物をしているのが分 りました。よっぱらいもたくさんいました。 先頭を歩いている迫田さんは、よく声をかけられて、スワヒリ語かル オー語かわかんないけど何しろ英語も日本語も混ざって話してい ました。人の騒ぎにおどろいたのかどこを探しても今日はカバがい ません。あきらめて車の方にもどりました。ソンドゥ川のカバを今回 も見ることが出来ませんでした。 帰り道、大きな紙ぶくろを頭の上にのせている女の人にたくさん会 いました。みんな力持ちでなく頭持ちです。重いだろうな、疲れる だろうなと思いました。私には、絶対出来ない事だけどやりたくもな いなと思いながら歩きました。 紅白歌合戦 7時半に夕食のおそばを食べに本山さんの家に行きました。キッ チンに行くとねぎの山がありました。本山さんが「あんまり安いんで 、全部買っちゃたよ。」と。言ってました。迫田さんと純君と私は、て んぷらそばが出来るまで、かんぱいをしていました。 てんぷらそばを食べると迫田さんが、「紅白歌合戦を見に行くか。 」と、言いました。お母さんは、きょとんとしていましたが、私と純君 は知っていました。私たちは、1993年の紅白歌合戦をみていたの です。じょやのかねも聞きました。日本と同じように今年も終わりま した。 2002年1月1日 オディノフォールズ(滝) 神様が住むというオディノフォールズに初もうでに行きました。車で 、工事現場の方からどんどん山道を水道管にそって登って行き、こ こが最後のキオスクという所よりちょっと先まで行くともう車も進むこ とができないけもの道に着きました。そこからは歩きです。 オディノフォールに行くには、たくさんのルートがあります。みんなソ ンドゥで働いている人達がつけた名前です。今日の私たちは、吉 野ルートで一番きついコースだそうです。吉野さんが最初に雨の 後にやってきてひどい目にあったそうです。 石がごろごろしている道をどんどん下ります。よその家の庭も横切り ます。つえ用の木の枝を拾いましたが、その枝が重いし、曲がって いるのでと中で捨ててしまいました。下りばっかりなので、ひざがガ クガクしてきました。山を下っていくと、遠くに土色をしたソンドゥ川 が見えました。あそこまで下りるのは、まだ遠いナーと思いましたが 、ようやく川が見えたのでうれしかったです。 どんどん山をおります。だんだん水の音が聞こえてきました。もう家 もありません。でも、人が歩くくらいの道はあります。だれもいないキ オスクみたいのがありました。たきは見えないけどここが最後のよう です。道もありません。先頭を歩いていた純君がどんどんやぶの中 に消えて行きます。ひょとしたら、ここからは枝をよけながら自分で 道を作っていくのかなと思いました。 道が急で、すべるので今にも谷底に頭から落ちていってしまいそう です。こわくて止めようかなとも思いましたが、後からお母さんが来 るので負けないぞと思いながら下りて行きました。ゴーゴーという水 の音がとても大きくなりました。純君が、下の方から「着いたぞー。」 と、さけびました。いいなあもう着いたのかと思いながら、私も大きな 岩のある所に着きました。 たきはそんなに大きくないけれど、水しぶきがすごかった。流れが 急で、石の上を歩くのがこわくて、おしりをつきながら動きました。 迫田さんと岡村さんと純君は、川の中にある大きな石の方に行きま したが、お母さんと私は、行きませんでした。やっぱり、落ちたらどう しようと思うと足が動きませんでした。 神様が、向こう側と真中の石そして私たちがすわっている所にいて 、にじを作るそうです。私もお祈りしました。たきの下の方で、女の 人たちがせんたくをしていました。時々、私たちの方を見ていました が、せんたくの方がいそがしいようでした。 30分位ここにいて、少し元気になったので帰ることにしました。帰 りはずっと登りです。最初の急な登りでへこたれそうになりました。 ちょとだけ、そこで休んで、また登りです。ソンドゥ川を見下ろした 所まで戻った時は、後はあんまり急じゃないと思うと元気が出てきま した。 車のある所には、お母さんが一番最後につきました。みんなあせび っしょりになりました。キオスクでソーダを飲んで宿舎に戻りました。 宿舎に戻って、シャワーをあびるかわりにプールに行って泳ぎまし た。 1月2日 ナイロビへ 迫田さんは、ダウンしてしまいました。昨日のプールが疲れたそう です。岡村さんとキスム空港に行きました。飛行機がどっちから来 るかあってこをしました。岡村さんが、「風がこっちからふいている から、飛行機は湖の方からくるよ。きっと。」と、言ったので私もそう しました。純君とおかあさんは、「みんな同じじゃクイズにならない から。」と、言って逆にしました。岡村さんと私が負けました。風のふ く方向は、ケニアじゃあまり気にしないのかな。 名前がまだよく覚えられないけど、たくさんの鳥をみました。こうもり は、見られませんでした。カバも残念でした。 正月休み終わり |
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